社員の存在意義とは:不景気時代の会社と従業員の関係(3)(1/2 ページ)
ソフトバンクなどさまざまな企業において豊富なビジネス経験を持つ大木豊成氏に、不景気時代の会社と従業員のあるべき姿について話してもらう寄稿の第3回。
ソフトバンクなどさまざまな企業において豊富なビジネス経験を持つオルタナティブ・ブロガーの大木豊成氏に不景気時代の会社と従業員のあるべき姿について話してもらう寄稿の第2回。第1回はこちら、第2回はこちらです。
今回は、われわれ会社員の存在意義をもう一度考えてみましょう。プロジェクトマネジメントのWBS(Work Breakdown Structure=作業分割構成)と同様に、上位階層である会社から落とし込んでいくと、会社の存在意義を満たすために存在するのが社員であるはずです。それは、会社の歯車になるといった言葉とはイコールではなく、われわれは存在するわけです。
われわれ会社員の存在が、会社がより多くの利益を確保するために役立っているか、あるいはコスト削減に役立っているか、そして継続するために寄与できているか、という視点で見ることが必要になってきます。
とはいっても、われわれにも生活がありますし、24時間働き続けるといったCMのような生き方は受け入れにくいし、実際にも無理があります。給料は少しでもたくさん欲しいし、しかし遊ぶ時間も確保したい。そうやって単純に考えると、会社の利益と会社員の利益は相容れないように感じてしまいます。やはり会社の犠牲にならないといけないのでしょうか。
しかし、ちょっと考えてみましょう。仮に自分が経営者ならどう考えるのか。ベンチャー企業を興したいという人は少なからずいると思います。ただ、起業に至っていないだけ。
もし自分が経営者なら、どこをどう整理するのでしょうか。バランスも必要ですし、法律もあるので順序や程度はあるでしょうが、端的に考えると役立つ社員だけにしたい、と考えるのではないでしょうか。文句ばかり言って、会社にとってお荷物的存在の社員を率先して雇用したいでしょうか。
絵に描いた餅は食えない
会社の存在意義は、「利益」を上げ、できるだけ「コスト」を押さえて「継続」することで、社員に給与を支払い続けることであるのだと思います。ところがときどき、理想ばかりを論じる社員の方がいるようです。
「会社はこうすべきだ」
「うちの社長は、ビジョンがない」
絵に描いた餅という意識ではないのでしょうが、具体的かつ実現性のない話をしても意味がありません。あるべき論を忘れる必要はありませんが、あるべき論を踏まえてどうすべきか、という具体的であり実現可能なプロセスを見いだすことが必要なのです。
とはいえ、どんな会社にいても愚痴はあるものです。愚痴を我慢し続ける必要するにありませんが、それはそれ、居酒屋で吐き出してもいいでしょうし、スポーツで発散するともっといい。オフィスに戻ったらそれは忘れて、どうすればより良くなるのか、を考える人間でありたいものです。
とはいってもなかなかそう簡単にモチベーションは上がらないもの。では、トイレに行って自分の顔を見てきてはいかがでしょうか。明るい顔をしているか、仕事が出来そうな顔をしているか。もし暗い顔をしているなら、自分が満足できるまで表情を変えてみる。自分が明るい顔をしていると、自分と話をする人まで明るくすることができるものです。
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